「カリフォルニア毛植革命」
【1章-1】
- 人生は何がキッカケで変わるかわからない。私こと『梅ガッパ記者』の人生が変わったのは、週刊『T』のK編集長の一言がキッカケだった。
「ウメハシ君、キミね、取材でアメリカに行ってみるつもりはないか?」
という一言である。いや、この言葉にしても、
「ウメハシ君、キミね、植毛手術を受けてみるつもりはないか?」
といわれたら何も変わらなかったのかもしれない。結局、「アメリカで植毛手術を受ける」ということには違いないのだが、言葉の言い回しひとつで変わるのだから人生は不可思議というべきか、
それともK編集長が老獪だったというべきか。
ともあれ、K編集長から「アメリカ取材」の話を切り出されたのは、ちょうど1年前の'98年6月のことである。
「え、アメリカですか? いいっすねえ。もちろん行きます。スケジュールなんてどうにでもなりますから、ハイ」
自慢じゃないが、ワタシはアメリカに行ったことなど一度もない。そのアメリカに仕事で行けるというのだから喜ぶのも当たり前である。こんなうまい話はない。
取材の内容を聞いたのはそのあとである。ついでに、英語などからっきしできないことも付け加えた。
「いや、英語なんか出来なくっても大丈夫なんだけどね。現地には日本語がペラペラの人がいるから。まあ、アメリカの取材は、一種の体験取材というか……
実は、コレの取材なんだよ」
と、K編集長は自分の頭を指さしていった。
「コレっていうと、あっ、もしかして、脳ですか? 脳でしょう? アメリカは脳研究の最先端を走ってますからね」
私事で恐縮ながら、ワタシは脳ミソ関係にいたく興味がある。アメリカには、脳科学の研究機関も多い。その方面の取材をさせてもらえるなら願ったりかなったりである。記者生活20年、
長くやっていると少しはいいこともある、そう思った。
ところが、編集長はあわてて首を振りながら、
「いやまぁ、中味じゃなくて、ソトのほうなんだけどネ」
というのである。
「はぁ? ソトというと?」
「だからホラ、髪の毛だよ。つまりさ、アメリカで髪の毛を増やす手術をしてもらってだな、それを記事にしようってワケだよ」
「ああ、髪の毛ねぇ……そちらのほうの取材ですかァ」
と、声のトーンもガクンと落ちたのだが、何かヘンな言葉があったことに気がついたのはこのときである。
「えっ、ちょ、ちょっと待って下さいよ。いま何かヘンなことをいいませんでした? 手術するとかナントカって」
「いやまあ、手術といってもね、ごく簡単なものらしいから。もちろん、入院の必要もないしね。しかもだよ、その手術を受ければ髪の毛がフッサフサになるらしんだよ。
アメリカにも行けるし、髪の毛もフサフサになる。いい仕事だろ、な?」
「な、といわれましてもねぇ……。」
確かに、ワタシゃ髪の毛が薄い。はや20代のころから抜けはじめ、30代初めで頭のてっぺんに〝皿〟ができた。口の悪い連中から『梅ガッパ』などと呼ばれるようになったのもこの頃である。
30代後半になると、その皿が前頭部に広がってきたのだが、髪の毛が薄くなるにつれ、その関連の取材記事も増えていった。編集者も「あいつならきっと自分のこととして取材するだろう」と思うようなのである。
むろん、新しい養毛剤の類の体験取材も数多くこなしてきたのだが、今回のアメリカ取材は、養毛剤を振りかけて「やっぱり効きませんでした」という体験取材とはワケが違う。なにはともあれ〝手術〟なのである。
いくらアメリカにタダで行ける仕事だといっても二の足を踏むのは当然だ。
その場は
「とりあえず考えさせて下さい」と返事したのだが、こんな話に限ってトントン拍子に進む。それから1週間後である。
編集長から、
「この前の話だけど、いまアメリカから髪の毛のドクターが来ているんだよ。話を聞くだけでもいいからさ、とにかく会ってみようよ」
こう誘われたのである。
会って話を聞くだけならなんということはないだろう。こう思って、ドクターが泊まっているという池袋のメトロポリタンホテルに編集長と同行した。
ホテルのミーティングルームには、アメリカで植毛の専門クリニックを開業しているスティーブン・チャン先生と美人で控えめな奥さんのアツコさん、
それに『中央日本ツアーズ』(旅行代理店=本社・名古屋)の社長である野呂文男さんと広告代理店の人たちが集まっていた。ちなみに、野呂さんは、
ドクターチャンのクリニックで植毛を希望する日本人のコーディネイトをしている方である。
ひととおり挨拶がすむと、ドクターチャンが髪の毛の生え具合(抜け具合?)を調べる。
「う~ん、だいぶ薄くなってますネェ。東洋人は大体8万本から10万本ぐらい髪の毛があるんだけど、あなたの場合は3万本ぐらい足りないのかなァ」
台湾生まれのドクターチャンは、日本に留学して慶応大学の医学部を卒業したうえ、奥さんも日本人だから、日本語は流暢である。その気さくな話しぶりと語尾の独特なアクセントは大学時代に親しかった台湾の友達によく似ていて親しみを感じた。
「でもネ、ウメハシさんの後ろの毛はまだたァくさんあるから心配することないネ。植毛すると、きっと若いころのようにフサフサになれますネ」
と、ドクターチャンはいう。
「良かったじゃないか、ウメハシ君。フサフサになれるそうだよ」
こう続けたのはK編集長である。
この日は、「話を聞くだけ」ということで行ったのだが、どうも様子が違うのである。内心、(いや、まだアメリカに行くと決めたわけではないんだけど)と思ったのだが、
「ハァ……まあ、そうですね」
とりあえずこう応えるしかない状況だった。どうやら、編集長は「本人もアメリカへ行くことを喜んでいた」と説明したようだ。アメリカに行くのはいいとして、植毛手術を受けることは、今ひとつためらいがあった。というより不安で一杯だったのである。
こんな不安そうなワタシに、自らもアメリカで植毛手術を受けたという野呂さんが、
「いや、心配することはありませんよ。手術といっても全然痛くありませんしね。手術して半年もしたら、ホント、見違えるほどになりますよ」
という。確かに、野呂社長の頭を見ると髪の毛が普通に生えているのである。
日本ではまだ一般的でないが、ドクターチャンが行う植毛手術をここでごく簡単に説明しておきたい。
まず、気をつけていただきたいのは、日本の大手カツラメーカーなどで行っている「増毛法」と植毛手術は、根本的に違うということである。増毛法は、いま生えている髪の毛に、増毛用の髪の毛を結びつけてボリュームアップする方法だ。ところが、植毛は正確に言うと、生毛植毛は、自分のまだある後頭部の髪の毛などを薄くなった頭皮に移植する方法なのである。アメリカでは、ここ数年、急速に普及し、最も人気の高い〝薄毛治療法〟になっているという。
「植毛をすると、確実に髪の毛が生えます。それも自分の髪の毛と同じように生えるわけですからね。アメリカではカツラよりも植毛法を選ぶ人が増えているぐらいです」
と、ドクターチャンはいうのだが、そのときのワタシの正直な感想をいえば、(本当に植毛手術で髪の毛が生えるのかねぇ……)というものだった。
なにしろ、この梅ガッパ記者は、前述のように養毛剤や育毛剤の類、あるいはナントカ発毛法など、様々な頭髪再生の取材を重ねてきたのだが、この手のものでコレはと思ったものは何一つなかったのである。ズバリいえばほとんど効かないといっても過言ではない。効かないという言い方がマズイなら、我々〝薄毛族〟が満足いく薄毛解消法はないと言い直すが、とにかく自分で使ってみようというモノがなかったのは確かだ。よく「使用前、使用後」を比べ劇的に効いたという養毛剤もあるが、これにもトリックがある。ストレス性の脱毛症を被験例にしていることが多いのである。特に円形脱毛症は放っといても1年ぐらいで治る。
読者の方も、この手の養毛剤に〈劇的効果〉を期待してガッカリされた方が多いと思うが、この梅ガッパ記者も同じだったというわけである。
これほど科学が進歩しているのに、なぜ髪の毛を生やすぐらいのことができないのか? こう思って、発毛のオーソリティという科学者に取材したこともあった。
「結局ですね、今の科学では、まだ発毛のシステムさえ良くわかっていないんですよ。じゃあ、髪の毛が抜けないようすればいいじゃないかと思っても、これがなかなか難しいんです。年をとるにつれ薄くなる男性型脱毛症は、ホルモンの影響でそうなるのですが、このホルモンのことも、これを正確にコントロールする技術もまだまだわかってないという状態ですからねぇ……」
この科学者はこうタメ息をついたあと、
「まあ、確実に毛が生える発毛剤が開発されたらノーベル賞は間違いないでしょう。その発毛剤は、発毛システムとホルモンのコントロールを可能にしたというわけですからね」
と、苦笑するように付け加えたものである。
以来、ワタシはどんなに効くといわれても、発毛剤の類は使おうという気にならなくった。ノーベル賞をもらったという発毛剤はまだ開発されていないからだ。
こんなだから、いまアメリカで盛んに行われているという植毛法にしても、そうそう期待はできないだろうと思ったのである。
週刊誌記者の悲しい習性で、現実に生えている野呂社長の頭髪を見ても、「何かのトリックがあるのではないか」と密かに思ったぐらいなのだが、「アメリカ植毛体験取材」の〝打ち合わせ〟は、梅ガッパ記者の思惑など関係なしにどんどん進んでしまったのである。
「ということでですね、とりあえずアメリカに行く日程を決めておきたいんですが、7月の後半あたりはどうですか」
広告代理店の人がきりだすと、ドクターチャンが、スケジュールを見ながら、
「私は構いませんネ」
野呂さんも、
「いいんじゃないですか、そのぐらいで」
と応じ、指折り数えながら、
「8、9、10、11、12、来年の1、2 髪の毛が生えそろうのは来年の2月ごろでしょうかね。いやホント、ウメハシさんも来年の2月ごろは、自分でもビックリすると思いますよ」
ニコニコ顔で話すのである。
すでに〝了解事項〟として取材日程まで決まる気配にア然としていると、広告代理店の方が、
「えっと、ウメハシさんのスケジュールのほうはそれで大丈夫ですかネ?」
「スケジュールもナニも…」
…思わず編集長の顔を恨めしそうに見ると、
「ウメハシ君、7月の後半なら大丈夫だろう。ええ、ウチのほうもそんなもんでいいと思いますよ」
と軽~く応じたのである。
結局、これで決まってしまったのだ。アメリカに植毛の〝手術〟に行くことが。
アタシはウムを言わせない展開に思わずア然、ボー然としたのだが、もうこうなりゃ仕方がない。まさか命まで取られはしまい。もし手術に失敗してもどうせ〝無きに等しい髪の毛〟である。なんとなれば、頭を剃りゃいいだけさ。
こんな悲壮(?)な覚悟をしてアメリカ植毛体験取材に行く決心をしたのだった。
【1章-1 終】
- 【1章-2】
- 「聞いたよ、聞いたよ~。アメリカに行くんだって? そいでもって髪の毛を植え付けてくるんだってねぇ。いやぁ、さすが記者の鏡! エライもんだねぇ。体張って取材するんだもん。しかし、いっとくけどネ、間違ってもミョーな期待をしちゃいけないよ。どうせ、抜けたものは生えやしないんだから」
どこから情報が漏れたのか、中年編集者のMさんが、ニタニタ笑いながらこう話しかけてきた。アメリカ取材の3日前のことである。
ちなみに、このMさんも、ワタクシ同様、かなり〝キテる〟頭髪の持ち主である。きっと彼も様々な努力(抜け毛対策?)をしたのだろう。「抜けたものは生えやしない」という言葉に実感がこもっている。
「大丈夫ですよォ。ヘンな期待なんかしていませんて。ボクもいままでの取材で髪の毛がそうそう生えないことはよ~くわかってますから。いや、だけどね、髪の毛なんか生えなくったって構いやしないんです。ボクはもう、アメリカに行けるだけで満足してんですから」
「またまたァ。本当は期待してんじゃないの?もしかして生えるかもしれない、な~んてさ」
と、Mさんは肩をこづくようにいうのだが、植毛手術に行く前は、正直いって髪の毛が生えるという期待どころか、心配のほうが大きかったぐらいなのである。(手術がうまくいかなくてこれ以上薄くなったらどうしよう……) あるいは、
(まさか麻酔から覚めなくて、そのままということはないだろうなぁ……)
という心配さえしたほどだ。40歳を目前にした週刊誌記者はそうそう楽観的ではない。 むろん、髪の毛が生えることを全く期待しないといえばウソになる。だが、それだって、(フサフサになるなんてことは、まさかないよなあ……。まあ、生えて儲けモノ、生えなくてモトモトか)というぐらいの気持ちだったのである。その意味で、このアメリカ取材は、ミスキャストだったのかもしれない。
例えば、ワタシより3歳ほど若い記者のY君。彼は、ここ1~2年、『カッパ記者2号』と陰で呼ばれているほどなのだが、よほど髪の毛のことが気になるのか、
「ぼくはもう、髪の毛のことを考えると夜も眠れないほどですよ。いま2種類の養毛剤を試しているんですが、全然効果なくって……。なんかいい方法ありませんかねぇ」
と暗い声で相談してきたこともあったぐらいだ。
『カッパ記者1号』だって、
「何かいい方法があればオレだってとっくにやってるよ」
こう応えるしかなかったのだが、彼がこの体験取材を命じられたら、きっとアメリカに行く前から、「毛が生えた自分」を想像して手放しで喜んだろう。そして、ちょうどいまごろは、まさに人生がバラ色に感じられたのではないだろうか。実際アメリカに行く前、Y君に植毛の体験取材を押しつけられたことを話すと、
「いいなぁ。何でボクにその仕事を任せてくれないのかなぁ。ボクだったら原稿料ナシでも引き受けたのに」
といっていたほどだ。
植毛取材後も、
「あ~、いいなぁ。どんどん生えてきてるじゃないですか。やっぱりボクが行けば良かったなぁ」
と悔しがることしきりだったのである。
もっとも、このカッパ記者1号も、アメリカに行く前までは、「ホントだよ。編集長もお前に任せればよかったのにな」と半ば本気でいっていたのだが、いまは、あの〝権利〟を2号に譲らなくてよかったとつくづく思っている。
さて、それはともかく、アメリカに出発したのは昨年の7月16日のである。日程は16日から20日までの3泊5日(機内一泊)だった。
コーディネーターの野呂さんからは、着替えなど旅行用具に加え、帽子を用意しておくようにと言われた。野呂さんは先にアメリカに行っていたため、成田からは広告代理店の方と2人である。月並みな言い方をすれば、「飛行機は一路ロサンジェルスへ」というわけである。成田からロサンジェルスまでは約20時間の旅だった。
【1章-2 終】
- 【1章-3】
- 「やあ、お疲れさま。どうでした、飛行機は?」
ロサンジェルス空港に着くと、野呂さんが出迎えに来てくれていた。
「いや、飛行機は快適だったんですが、ちょっとまず……タバコを」
「ハハハ、そうでしょう。機内は全面禁煙ですからね。だけど、アメリカでは空港内も禁煙なんですよ。とりあえず外に出ましょう」
禁煙運動が盛んなアメリカは、建物内はまず間違いなくタバコを吸えない。ヘタをすればホテルの客室も禁煙という場合があるほどだ。ヘビースモーカーの記者には、アメリカ取材中、これが一番こたえた。「どこでタバコを吸うか」そればかり考えていたほどである。空港の外の喫煙エリアでたてつずけにタバコを吸っていると、野呂さんが、
「タバコも髪の毛によくないんですよねぇ。ホント、タバコは百害あって一利なしですな」
こういいながら、自身もタバコに火をつける。
タバコを吸って一息つくと、ロスも真夏だというのに意外に暑くないことに気づく。日なたに出るとさすがに暑いのだが、日陰にいるとスウ~ッと汗が引くような感じなのである。
野呂さんがこう説明する。
「カリフォルニアの夏は湿気がないから過ごしやすいんですよ。冬だって日本の春のような暖かさですからね」
空港から宿泊先のホテルまでクルマで30~40分ぐらいだったのだが、ロス市街地を離れると、地面が乾燥して所々に椰子の木が自生している。アメリカに来たんだということを実感したのはこのときだった。
宿泊したのは『アトリウム・ホテル』である。ディズニーランドを訪れる日本人観光客の利用も少なくないというホテルは、中庭にプールがあり、リゾートホテル風の作りになっている。客室も広々としている快適なホテルで、ドクターチャンのクリニックで植毛手術を希望する日本人は、ほとんどがこのホテルに泊まるという。旅行代理店を経営する野呂さんがチョイスしただけに、ホテルの対応も丁寧で、毎朝、日本の新聞を部屋に届けてくれる配慮も嬉しかった。
ホテルで一休みした後、早速、ドクターチャンのクリニック『NHT・メディカルセンター』を訪ねる。ロス郊外の高級ビジネス街の一角にあるドクターチャンのクリニックはアトリウム・ホテルからクルマで10分もかからない。クリニックは、広い芝生に囲まれ、メタリックな金色の窓もまぶしい近代的なビルの2階にある。受付は病院というより、オフィスという感じだ。受付の女性に訪問を告げると、白衣を着たドクターチャンが現れた。

「やあ、ようこそ。お待ちしてましたネ。飛行機は疲れませんでしたか?」
ドクターチャンは、白衣を着ても気さくな話しぶりである。
この日は、髪の毛の生え具合を調べ、植毛手術の方法などを検討するだけだから、気分も楽だった。
まず、髪の毛の質や密度をヘアースコープを使って調べた。ヘアースコープは、胃カメラのように先端にカメラをつけた機械だが、これで頭皮を見ると毛根の様子や髪の毛の太さがよくわかる。
なお、この梅ガッパ記者の場合は、時間的な都合もあり、ドクターチャンのクリニックで直接調べてもらったが、野呂さんが代表である『NHT・メディカルセンター・日本事務所』(名古屋市西区浄心)にも同様な機械がある。日本で事前に検査して、そのデータをアメリカに送り、手術の適用を調べてもらうこともできる。
マイクロスコープに映し出された映像を見ながら、ドクターチャンがこう説明する。
「ほら、後ろ(後頭部)の髪の毛と前の髪の毛(頭頂部と前頭部)比べると、よくわかるでしょう? 後ろの髪の毛はこんなに太いのに、前の髪の毛は、その半分ぐらいしかないですね。髪の毛は生え変わるたびに細くなります。前の髪の毛は寿命がとっても短いね」
また、密度という点でも、前と後ろでは大きな差がある。若いころの髪の毛は、1平方㎝当たり大体20~30本生えている。後ろの毛はそのラインをクリアしているのだが、前のほうにいたっては、まさしくスカスカになっているのである。さらに頭頂部はほとんど〝禿げ山状態〟だから、自分でも見ていてイヤになったほどだ。
ちなみに、頭の禿げ方は大体2つのタイプに分かれる。この記者のようにテッペンから薄くなり、段々下に抜けていくタイプと、額のほうから上に抜け上がっていくタイプである。周りから『梅ガッパ』などと呼ばれる記者は、賢そうに見える額から抜け上がるタイプが羨ましくてならないぐらいなのだが、テッペンから薄くなるタイプもひとつだけメリットがある。それは、自分では見えない、わからないという点である。例え、前のほうに抜け上がってきても、鏡で見ると下から見上げるような形になるため、「少し薄くなったかなぁ……」と思い込むことができるのである。今回、植毛の体験取材の話があったとき、「植毛したいと思うほど髪の毛のことを気にしていないんだけどなぁ……」と思っていたのだが、これは、自分でも〝かなりひどい状態〟であることを気が付いていない、あるいは目をつぶって知らないフリをしていた、といえるのだろう。
だが、クリニックのヘアースコープで自分の頭をドアップで見ると、周りの人が〝カッパ〟だというのも仕方ないと思えてしまうのである。
あれは30代初めだったろうか。出張で乗った新幹線の洗面台に備え付けてある三面鏡の前でガク然となったことをつい思い出した。元々無精だったため、鏡は出かけるときにチラリと見る程度だったのだが、その三面鏡には、頭頂部にほとんど毛がない状態の自分が映っていたのである。あの時のショックは今でも忘れることが出来ないぐらいだが、こうして改めて見ると、当時よりさらに〝悪化〟しているのである……。
ヘアースコープから目をそらすようにして、ドクターチャンに聞いた。
「いやもう……ようくわかりました。えっと、それじゃあ、手術はどうするのか、その方法を教えて下さい」
窓の外には近代的な高層ビルがいくつか見え、すぐ前の〝アメ車〟が走る広い道路にはフェニックスが植樹されている。外はかなり暑そうだが、モノトーンで統一されたカウンセリングルームは清潔で涼しい。
「つまりですね、ウメハシさんはいま見ましたよね。後ろに太い髪の毛が生えているのを。これはすごく元気な髪の毛です。これを、細くなってまばらになっているところに植えようという手術なのです」
ナルホド。ここまでは東京で会ったときも聞いた。だが、どのようにして後ろの髪の毛を抜き、どう植えるのか、である。
自分がこれから受けようという手術だから、身を乗り出して聞く。
「髪の毛だけを植えても、それが抜けたらおしまいでしょう? だから、髪の毛の根本からそっくり切り取りますネ。髪の毛の根本には毛母細胞といって、髪の毛を生やすタネがあると考えていいでしょう。このタネを前(の薄い部分)に植え付けるんですよ」
「そうすると、後頭部の頭皮ごと切り取るというわけですね。で、その頭皮はどれくらいの深さに切り取るんですか?」
後ろの髪の毛を前に移植するということは聞いていたが、まさか頭皮を切り取るとは思っていなかったので、あわてて聞いた。
「まあ、深さにして3~4㍉ぐらいかな」
ドクターチャンはこともなげに答える。
3~4㍉! 自分の指と指でその幅を測りギョッとなった。
「そ、そんなに切り取って大丈夫なんですか?」
思わず声が裏返ってしまう。
「いや、それは大丈夫ネ。人の頭皮は意外に厚くて1㌢以上ありますから」
深さが3~4㍉ そして、切り取る〝広さ〟はどれくらいなのか?
ドクターチャンは、ワタシの頭を見ながら、
「前にも話したとおり、ウメハシさんの髪の毛は3万本ぐらい植毛すれば、若いころと同じようにフサフサになりますネ。でもまあ、3万本を一回で植毛すると、体に負担がかかり過ぎるんですね。だから、今回は4500本から5000本ぐらいにしようと思っているんですが……そうですねぇ、これぐらい植えるには1.2㌢の幅で20㌢ぐらいの長さを切るということになるでしょうネェ」
どうやら、テープ状に後頭部を切り取るらしいのだが、長さ20㌢、幅1,2㌢、深さ3~4㍉である。思わずペンを置き、テーブルの上にあるコーラに手を伸ばしたほどだ。本場アメリカのコカコーラだが、味は日本と同じだった。気を取り直して〝取材〟を続ける。
「でも、そんなに切り取って……跡は残らないんですか?」
「切り取った部分はピッタリ縫い合わせますからね。1~2ヶ月もすれば抜糸できるし、手術跡も外からは全くわからなくなるぐらいです」
テープ状に切った部分は縫い合わせて1本の線になる。その線も後頭部の髪の毛に隠れて外からは全くわからなくなるというのである。とはいえ、頭の後ろに20㌢の長さの傷跡が残る。いくら目立たないといっても、少しは見えるのではないだろうか?
そんな不安が顔にでたのだろう。植毛手術の先輩である野呂さんが、
「いや、心配することはありませんよ。私の頭もね、ほら、こんなふうになっているぐらいですから」
と、後ろを向いて頭を見せてくれた。確かに、全く普通の頭である。
「それにほら、こうやって髪の毛をかき上げてもわからないでしょう?」
と、手で首筋からかき上げても傷跡は見えない。
「えーとね、確かここら当たりに傷跡があるはずなんだけど、見えますか?」
髪の毛を丁寧にかき分けるようにすると、やっとそれらしき傷跡が見えたぐらいだ。その傷跡にしても、薄いピンクの線がやっとわかるほどなのである。
「はあ。なるほど。確かにわかりませんね。なるほど。こんなになるわけですね」
やはり、実物を見せられるのが一番安心する。少しホッとしたものの、
「でも、痛いんでしょうねぇ、手術は……。頭の皮をこぉんなに切り取っちゃうワケですから」
と、両手の親指と人差し指で前述の1,2㌢ー20㌢のテープの大きさを示しながら聞いてみた。きっと顔をしかめるように聞いていたのではないだろうか。
「ハハハ、明日(手術日)になってみればわかりますがね、きっと、痛みはほとんど感じないと思いますよ。たぶん、一番痛い思いをするのは、最初の麻酔注射を打つときでしょう。それだってチクリと感じる程度でしょうがね」
う~ん、本当かな、と思ってしまう。歯医者でも、「ハイ、全然痛くありませんからね」 というが、結構痛いことが多いのだ。
まあ、それはともかく、手術の第2段階は、いよいよ切り取った〝髪の毛のタネ〟を植え込む作業である。これはどうするのか。
再び、ドクターチャンが答える。
「まずね、先ほど切り取った頭皮があるでしょう? これを小さく切り刻むわけですよ」
1,2㌢×20㌢の頭皮(!)は、約1500片ぐらいに小さく切り刻ざまれる。これを『グラフト』と呼ぶのだが、切り刻まれて3~4㍉四方になったグラフトからは、平均的に3~4本の髪の毛が生える。1500片×3本=4500本。先ほどドクターチャンが、4500本から5000本の植毛をするといったのは、これをもとにした数字だったのである。だが、このグラフトを植え付ける方法を聞いて、またまたギョッとしてしまった。
「もちろん、そのまま薄いところに張り付けるだけではありませんね。そんなことをすればすぐ取れてしまいますから」
まあ、確かにその通り。
「だからね、頭の薄い部分に穴をあけて、そこにグラフトを押し込むわけですよ」
ドクターチャンはこともなげにいうのだが、
「アタマの薄い部分に穴をあける?」
「そうです。切り目を入れるというかネ。そのうえで、グラフトを頭皮に埋め込むわけです」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。その〝切り目〟はいくつぐらい入れるわけですか。」
「そりゃもう、グラフトの数と同じだけです。つまり、1500カ所ね」
薄くなった部分に1500カ所もザクザクと切り目を入れる!
「き、切り目の深さはどれぐらいなんですか?」
再び裏返った声でドクターチャンに尋ねると、
「やや斜めに切れ目を入れますが、まあそれでも2~3㍉といったところでしょう」
〈ハゲた部分に1500カ所、2~3㍉の深さで切り目を入れる〉
取材ノートにこう書きながら、頭がクラクラしてきた。〈1500カ所、2~3㍉の深さで切り目を入れられる〉のは自分なのである。やっとノートから目を離し、ドクターチャンに聞いた。
「痛くないんですか?」
哀願するような口調だった、と思う。
「いや、それは大丈夫ネ。麻酔がキッチリ効いているから」
〈ダイジョーブ。麻酔が効いているから痛くない〉取材ノートに書いた。
なお、この傷跡は術後1~2週間程度で治るという。確かに野呂さんの頭もザクザクした傷痕は一切残っていない。
「大丈夫、大丈夫。心配することはナンにもありませんね。さて、それではみんなで食事に行きましょう」
よほどクライ顔をしていたのだろうか、ドクターチャンがその夜の食事に誘ってくれた。時間はすでに6時近いが、まだ昼間のような明るさである。クリニックを訪れた昼過ぎはかなり暑かったのに、外に出ると意外に涼しい。
「アメリカの西海岸は本当にいい気候なんですよ。日中暑くても夕方はす~っと涼しくなりますからね」
外でドクターチャンを待ちながらタバコを吸っていると野呂さんがこう説明する。
クリニックがある場所は金融機関が集まるビジネス街なのだが、日本のようにビルがごちゃごちゃ林立しているわけではない。ひとつひとつのビルの敷地面積が広く、フェニックスや椰子の木などの緑が豊かなのである。しかも、道は幹線道路でもないのに片側2車線だ。ただし、そろそろ帰宅時間だというのに道を歩いている人はほとんどいない。移動手段はほとんどクルマなのだろう。当たり前の話だが、アメリカ映画やドラマそのものの風景なのである。
ドクターチャンと美人の奥さんが連れていってくれたのは、ロス郊外にある中国料理店だった。近くの海から取れるというエビは伊勢エビほどの大きさで実にうまい。実にうまいが、明日は手術である。
「いままで手術を受けた人は、みんな前日までクラ~イ顔で沈んでいるんですがね。手術が終わると、次の日にはもうメチャメチャ明るくなるんですよ。いやもう、その変わり様はこちらが驚くほどですよ」
野呂さんは、紹興酒を飲みながらこう笑う。
「手術の翌日は、痛まないんですか」
「いや、ほとんどありません。少し痛いという人もいますが、クリニックでもらう痛み止めを飲めば何ということもありませんしね」
自慢ではないが、この梅ガッパ記者は、今まで入院はおろか、通院した経験もほとんどない。小学生のころ膀胱炎と口内炎で病院に行ったが、あとは歯医者に1、2度行っただけだ。それがいきなり手術を受けるのである。不安になるのは当たり前だろう。
食事が終わり、外に出ると肌寒いぐらいだった。
「ちょっと待って下さいネ」
ドクターチャンが、中国料理店の隣にあるスーパーに入った。そこはチャイナ系のスーパーらしく、店内には見たこともない果物類も多い。ドクターチャンはライチを一つ買うと、
「ホテルでお腹すくからね。これどうぞ」
と記者に持たせてくれたのである。
明日の手術の不安はある。しかし、ここまで来たらもう仕方がない。幸いライチをもらったからというわけでもないが、ドクターチャンは信頼できるドクターで、手術経験もすでに1千件を超えているベテランである。このライチを見ながらやっと〝まな板の鯉〟になる決心がついた。
【1章-3 終】
1章-4】
- 翌日は朝8時に起床。朝食を終えると、早速、『NHT・メディカルセンター』に行った。ホテルのクルマで向かう途中、野呂さんが説明する。
「手術は結構時間がかかるんですよ。大体7~8時間ぐらいでしょうかね」
7~8時間の手術といえば大手術である。昨日はまな板の鯉になろうと思ったが、手術時間を聞いて、またビビってしまった。
「時間はかかりますが、心配することはありませんよ。ところで、ウメハシさんは、お昼、何を食べます?」
「あれ、手術は午後からなんですか?」
「いや、午前中からやりますが、途中、お腹がすきますからね」
後頭部の頭皮をザックリ切り取って、1500カ所も切り目を入れた前頭部に、後頭部から採ったグラフトを埋め込む〝大手術〟である。それにも関わらず、手術の途中で昼飯を食べるというのである。
「手術の最中に食事をするわけですか?」
「ええ。あまり食欲がないかもしれませんが、何か食べないとお腹空くでしょう。といっても、ビジネス街の出前ですから、サンドイッチとかメキシカンランチぐらいしかないんですけどね」
「じゃあ……そのメキシカンランチのほうをお願いします」
とりあえず〝食糧確保〟はどんな状況でも大切だ。こう思ってメキシカンランチにしたのだが、麻酔もしているはずなのに、本当に手術中にランチなんか食べられるのだろうか? と首を傾げたほど。
クリニックに着くと、ドクターチャンがにこやかに出迎えてくれた。
「よく眠れましたか。それとも緊張して眠れなかったかな?」
ドクターチャンは、ワタシの目をのぞき込むように、ちょっぴりいたずらっぽい顔で尋ねた。こんな表情も大学時代によく遊んだ台湾の友人に似ていてホッとするが、いまから〝大手術〟を執刀するドクターにしてはちょっと緊張感が少ないのじゃないかと思ったほどだ。
クリニックの女性スタッフから薬を渡され、飲むように指示される。抗生物質なのだが、どんな薬なのかきちんと説明してくれるのは、さすがにアメリカだ。インフォームドコンセントがしっかり確立されているのである。
このあと、昨日のカウンセリングルームで前頭部のどこまで植毛するかという打ち合わせをした。白衣を着てマーカーを持ったドクターチャンの奥さんのアツコさんがこう説明する。
「ウメハシさんは前髪もかなり後退していらっしゃるでしょう? 植毛手術では前髪の生え際も下げるんですね。いまそれを決めようと思うんですが、どれぐらいまで生え際を下げたいか、ご希望をいってみて」
美人の奥さんは、声もきれいで丁寧な日本語なのだが、いきなりいわれてもとまどってしまう。
「いやまあ……どこまで下げたいかなんて希望はないわけですが、ま、テキトーなところでお願いします」
このセリフは床屋でもよく言うセリフだった。床屋では後ろの髪はどこまで切るか、横はどうするかとイロイロ聞かれるが、「まあ、テキトーにやってよ」と答えるのが常だったのである。あえていえば、「前髪が目に入らないように」という注文をすることもあったのだが、ここ数年、その必要もなくなっていた。
奥さんは、
「じゃあ、こんなところかしらねぇ……」
といいながら、額にマーカーで線を引く。
「これでどう?」
鏡を見せてもらうと、額には生え際より1㌢ぐらい下に黒い線が引かれていた。顔に落書きをされたようで妙な気分だったが、
「はあ、そんなもんでいいんじゃないですかね」
と即座にOKする。これも散髪が終わったときいうセリフと同じだった。
「うふふ、ずいぶん簡単に決めちゃうのね」
奥さんはこう笑いながら、なおも離れたり近づいたりしながら、額に引かれたラインを真剣な表